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三好政康

概要

時 代
戦国時代
生 誕
不詳
死 没
永禄12年5月3日(1569年5月28日)
改 名
政勝〜政生〜釣竿斎宗渭
別 名
右衛門大輔、下野守
墓 所
久能山東照宮、日光東照宮、大樹寺、高野山
官 位
内大臣、右大臣、征夷大将軍、太政大臣、
主 君
細川晴元〜三好長慶〜義継
氏 族
三好氏
父:三好政長
兄 弟
政成、為三

戦国時代の武将。続柄に関しては諸説あるが三好三人衆の1人とされる。三好政長とともに細川晴元に仕え権勢を振るっていたが、本家当主・三好長慶と対立、1549年、江口の戦いで三好政長が長慶に討たれると篭城していた榎並城から逃亡した。戦後、細川晴元が13代将軍・足利義輝と共に近江国へ逃亡すると、波多野晴通と通じ、約10年間、三好長慶に対して徹底的に戦った。しかし1558年頃に長慶の家臣となってからは長慶の勢力拡大に貢献し、三好義継の後見役の1人として台頭、三好長逸・岩成友通と共に三好三人衆と呼ばれ家中で重きをなし、1565年に松永久通と共に三好氏と対立する13代将軍足利義輝の御所を襲撃して殺害した。しかし、畿内の主導権をめぐり久秀と三人衆は対立するようになり、度々久秀と争う事となるが、1568、織田信長が足利義昭を擁立して上洛してくると、松永久秀らが織田氏に接近する一方で信長との敵対の道を選んだが、信長の優位で機内の争乱で決着すると、動向は不明となった。なお、大坂夏の陣において88歳という高齢でありながら最期まで秀頼に従い戦死した三好清海(みよし せいかい)という人物が三好政康の後身という伝説があり、これが有名な「真田十勇士」の1人である「三好清海入道」のモデルになったとされる。

三好長慶

三好長慶武者行列まつり

場所: 徳島 開催日: 2016年11月5日(土)〜6日(日)
武者行列 鉄砲演武 一般募集 自前甲冑可

三好長慶は織田信長が上洛するまで畿内をほぼ制圧し事実上の天下人の地位にあった人物です。三好長慶が本拠とした三好市三野町で行われるお祭りで、地元三野中学校のブラスバンドによる演奏や、備州岡山城鉄砲隊による火縄銃演舞、三好長 …