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堀部武庸

江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。中山武庸と名乗っていたが、その武勇を欲した赤穂浅野家家臣・堀部金丸が養子縁組を望み、浅野長矩もこれを認めたため中山姓のままという条件で堀部家の婿養子に入ることを決める。赤穂藩での武庸は、200石の禄を受け、御使番、馬廻役となった。刃傷松の廊下事件で赤穂浅野家は改易になると、篭城さもなくば吉良義央への仇討を主張したが、浅野家再興を優先することを諭されて、赤穂城明け渡しを見届けた後、江戸に戻った。しかしそれ以降も強硬に義央への敵討を主張。江戸急進派のリーダー格となり、大石良雄に対して江戸下向するよう書状を送り続けた。長矩の一周忌が過ぎ、長広の浅野宗家への永預けが決まり浅野家再興が絶望的となると、覚悟を決めた良雄らと共に松阪の義央の屋敷へ討ち入った。討ち入り後、武庸は良雄の嫡男・大石良金らとともに、伊予松山藩主・松平定直の江戸屋敷へ預けられ、屋敷にて松平家家臣・荒川十大夫の介錯により切腹した。享年34。

新潟義士祭

義士祭(新潟県新発田市)

場所: 新潟 開催日: 2017年12月14日(木)
武者行列

元禄15年12月14日は松之廊下刃傷事件で切腹となった浅野内匠頭の仇を討つべく赤穂義士四十七士が吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち取り本懐を遂げた日として知られいます。その中の赤穂義士四十七士の一人で新発田市の出身であっ …