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加藤清正

加藤清正安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。豊臣秀吉の子飼いの家臣で賤ヶ岳の七本槍に数えられる。肥後熊本藩初代藩主。近江長浜城主となったばかりの秀吉に小姓として仕え、秀吉の親戚として将来を期待され、秀吉に可愛がられた。清正もこれに応え、生涯忠義を尽くし続けた。中国方面経略中の秀吉が冠山城を攻めたとき、竹井将監という豪の者を討ち取っている。1582年、本能寺の変が起こると、清正は秀吉に従って山崎の戦いに参加した、翌年の賤ヶ岳の戦いでも敵将・山路正国を討ち取るという武功を挙げ、「賤ヶ岳の七本槍」の一人として3,000石の所領を与えられた。また九州征伐にも従軍し、肥後国領主となった佐々成政が失政により改易されると、これに替わり肥後北半国19万5,000石を与えられ、熊本城を居城とし治水事業や商業政策でも優れた手腕を発揮した。文禄・慶長の役でも豊臣政権の主力とし朝鮮へ出兵し数々の武功を上げる。秀吉が死去すると、石田三成ら文治派との対立から五大老の徳川家康に接近し、家康の養女を継室として娶った。関ヶ原の戦いでは黒田如水とともに九州の西軍勢力の小西行長の宇土城、立花宗茂の柳川城などを次々と破った。戦後小西旧領の肥後南半を与えられ52万石の大名となる。戦後、豊臣家と徳川家の緊張が高まると、京都二条城にて家康と豊臣秀頼との会見を取り持つなど和解を斡旋したが、帰国途中の船内で発病し、6月24日に熊本で死去した。享年50。
藤堂高虎や黒田孝高と並ぶ築城の名手として知られ熊本城や名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城など数々の城の築城に携わった。また飯田直景や大木土佐らと穴太衆を使い、領内の治水事業にも積極的に取り組んだ。その土木技術は非常に優れており400年後の現在も清正による遺構が多く存在する。

戦国国衆

戦国肥後国衆まつり

場所: 熊本 開催日: 2017年2月12日
武者行列 合戦再現 一般募集 自前甲冑可 事前説明会 事前練習会

戦国時代末期に、新たに肥後の国主となった佐々成政の強引な検地に対して、肥後の国衆たちは地元農民の為に立ち上がり、約2か月間にわたって豊臣秀吉の大軍を相手に壮絶な戦いを繰り広げました。このお祭りは、その「肥後国衆一揆」の心 …

名古屋まつり

名古屋まつり

場所: 愛知 開催日: 2016年10月15日(土)〜16(日)
武者行列 一般募集 その他条件

名古屋の秋を彩る最大の祭で、まつりのメインとなる豪華絢爛な行列では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑が約600人を従えて行進する郷土英傑行列、歴史と伝統を背負う指定文化財「山車揃」や市文化財「神楽揃」や、フラワーカー …

豊公まつり

豊公まつり

場所: 滋賀 開催日: 2016年10月9日(日)
武者行列 一般募集

後に天下人となった豊臣秀吉が木下から羽柴と性を変え、城持ち大名となった長浜で行われるお祭りで、本能寺の変で無念の死を遂げた織田信長の統一事業の後継者争いでもあった賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家を打ち破り勝利の凱旋を表現した秀吉 …